2006年10月09日

The March Of The Black Queen(後編)

夜闇の水平線におぼろに見えていた帆影は、みるみる距離を詰めてくる。
夜が明ける頃には、遠目にマストの艤装が分かるほどの距離まで迫っていた。
やや鈍重な戦闘仕様ガレオンに、追い風から可能な限りの推進力を搾り取る為のバーク帆装をほどこしたGoshawk。
後方から追いすがる船は、スリムな船体に見るからに軽快なスクーナー帆装。
発見と同時に転進したゴスホークだったが、風向きのせいもあって引き離すのは難しそうだ。

ギニア湾岸の、しかもこんな半端な航路をとって航行するゴスホークに、ヒモで繋いだようにぴったりついてくる。
どう楽観的に見ても、この船が何らかの意思を持った追跡者であることは間違いない。
総員戦闘配置についた水夫達は、背後からじわじわと近づく相手の正体をあれこれ推測しあいながら、絶え間なく下される命令に従ってマストを上っては下り、甲板を走っては索具を引いていたのだった。



せわしなく動き回る彼らのはるか頭上、檣頭。

「思ったより早くバレたな」

ごく低倍率の望遠鏡をのぞいて、船尾方向を睨んだブリアレオスは淡々と言った。
毎度、白兵戦になると望遠鏡は棍棒代わりに振り回すので、安物しか使わないのだ。

その横ではライベンが、いつもの両目を見開いた茫洋とした顔つきで、やはり船尾の方へ視線をやっている。
恐るべき視力をもつこの男は、ブリアレオスが安望遠鏡をとおして見ているのとほぼ同じ解像度で物を見ている。

「ありゃあエスパドン号じゃねぇですかい」

「おぅ、追っ手がかかるなら、ヤツだろうたぁ思ってたが」

「ジェラール・デ・ラ・エスパドンが追っ手たぁ…船長、やっぱりありゃあ、大した荷物でやしたね」

「他の連中にゃ黙ってろよ、後々面倒だからな」

そらっとぼけるブリアレオスにちょっとだけ目をやって、ふぅと小さく息を吐くと、ライベンは迫る船影に目を戻す。

「船首にバウチェイサー(艦首追撃砲)が見えやすよ。この調子でいくと初弾は正午前ってとこでさぁ」

「よぉし、ひとつお手並み拝見といくか」

言いざま、ブリアレオスはほとんど落下同然に、マストを滑り降りていった。




ほぼ正午過ぎ、最初の水柱がゴスホークの船尾後方の海面に高々と立った。
すでに相手の船ははっきり見えている。
追ってくるエスパドンのトップマストには、停船を命じる信号旗が掲げられて久しかった。
停船し、臨検をうけるフリをしておいて、逆に相手をのっとる手もあるのだが、「トゥーロンのバショウカジキ」とまで異名をとる名うてのチェイサー相手ではこの手は使えっこないだろう。

「カジキ野郎の鼻っ柱へ一発いれといて、ズラかるしかねぇなぁ」

そのための一撃をどこで入れ、どこで逃走に転じるか、どっちに逃げるか。
ブリアレオスは妙に楽しげだった。


下層甲板の診察室では、床に滑り止めの砂がまかれ、戦闘配置が完了していた。
砲弾の着水音と、張り増した帆に軋む船体の悲鳴、そして走り回る船員達の、甲板を踏み鳴らし、タラップを昇り降りする足音。
それらがどんどん近く高く、切れ目なく聞こえだしたということは、修羅場が展開されるのも、そう遠くないということだ。

ぎゅっと両目を閉じたガブリエラは、両の拳をこれまたぎゅっと握って椅子にかけたまま、動く事が出来なかった。
これから繰り広げられるに違いない修羅場の恐怖に、すくみ上がっていた。

ホセが戦慄をもって看破したとおり、ガブリエラは医師ではなかったのだ。

いや、正確には「十分に」医師でないと言うべきか。

この時代、医師になるのに免許などは無論なかった。
何をもって医師となるか、基準も資格もありはしない。
どころか、現代のような整然と体系だった「医学」すらあってないような有様だ。
人体や薬物についての知識、もしくは実際に人の手なり足なりを切り落とした経験、そのいずれかを持っていれば、それで「医師」と目されたのである。

その資格で言うならば、ガブリエラには経験が全く欠けていた。
手足どころか、指すら切り落としたことなどありはしない。
折れ、裂けた腕を、ノコを振るって挽き落とし、焼きゴテで傷口を焼いて出血を止め、熱したタールをひたして塞ぐなどという、乱暴この上ない外科手術の手順を聞かされた時、ガブリエラは卒倒しそうになったほどである。

そんな彼女に刻一刻と、過酷極まる試練のときは近づいていた。



追いすがるエスパドンは、少しずつ距離を詰めていた。
並みの操船ならとっくに横付けされて、カギ縄でがっちり固縛されているところを、ゴスホークはしぶとく逃げ続けた。
わずかな風も逃さず捉えて、巧みに帆桁を操りながら、時にフェイントまで仕掛けてエスパドンを翻弄し続けるが、追っ手も只者ではない。
手だれの漁師が網を絞るように、じわじわと確実に接近してくる。
どの道、この海上では速力に劣るゴスホークは、どこへ逃げ隠れも出来ないのだ。

のらりくらりとバウチェイサーをかわし続けていたゴスホークだったが、さすがに距離が詰まってくると、そうもいかなかった。
着弾は確実に船体に近づいており、高く上がる水柱とうねる波とで、後部甲板はすでにずぶ濡れだ。

「ぼちぼち潮時だな…。スヴェン、雷撃戦だ、支度しろ」

ブリアレオスが指示を下した直後、ブンッと空気を切り裂く音。
続いて索具が引きちぎれ、着弾した砲弾が船体を噛み砕き、四方八方へ弾き飛ばした。

直撃弾だった。




ひときわ大きな炸裂音と衝撃に、ガブリエラは飛び上がりそうになった。
一瞬静まった船内が、どっと沸くように騒がしくなった後、ついにその時がやってきた。

修理資材の板に載せられ、達者な者の肩に担がれて、血みどろの水夫達が続々と運ばれてくる。
自力で動ける者は、持ち場から離れずしぶとく戦い続けるし、動くことも、かぼそい息すらおぼつかなくなった者は、即死した者同様に捨て置かれ、動けないながら、助かる見込みのありそうな者だけが、下層甲板へと運ばれる。
悲しむ事も弔う事も、全ては勝つまでお預けなのだった。


広くもない診察室はたちまち足の踏み場もない。
鼻をつく血の臭いに、遠のきそうになる意識を必死にたぐり寄せて、ガブリエラは手術台へ放り出された一人目の治療に取り掛かった。

処置台の上には、左舷直のフェリックス。
左側から破片を浴びて、そちら側は真っ赤だ。
浅くはないが致命傷がないのを確認、一番新しい雨水で洗って止血。

次はジョイスだ。段索から振り落とされ、足がスネからあらぬ方向に曲がっていた。必死に悲鳴をこらえるジョイスの身体をホセが押さえ込み、ガブリエラとワンが足にとりつく。

「合図で戻して、もう一回の合図で止めてください、ミスタ・ワン」

ワンの頷くのを見てすぐにカウント。

「1、2、3!…止めて!」

………
……


傷口を開き、探り、洗い、縫い、骨を継ぎ、固く噛み締める口をこじ開けて薬を流し込み、添え木をあて、包帯を巻く。
小難しい理屈を考える暇などまるでない。
ガブリエラは動き続け、ホセとワンに加えて達者な水夫達に次々指示を出し続け、担ぎ込まれた20人からの水夫達の治療に没頭した。



同じ頃、上甲板では、最初の着弾の混乱から立ち直った生き残り達が、ひるむことなく迅速に反撃の準備を進めていた。
掌帆長のバーニィ、掌砲長のスヴェンに加えて、ブリアレオスまで一緒に水夫に混じり、破壊された船体の瓦礫を撤去した後甲板に、大ぶりなバリスタの様な代物を据え付けつつあった。
バリスタもどきは船尾方向に向けられてはいたが、まっすぐ追ってくるエスパドンからそっぽを向いているのが奇妙だった。

奇妙に感じたのは、望遠鏡越しにゴスホークの船尾を睨んでいるジェラールも同様だった。
近頃は芳しい評判も聞かなかったとはいえ、相手は「百本腕」の異名をとるクセ者だ。
過去にジェラールも参加した港湾封鎖を突破したり、追跡網をすり抜けて行方をくらます等、何度も鼻をあかされている。
それだけに相手の意図を読めないまま、迂闊に距離を詰めるわけにもいかなかった。
バウチェイサーで航行不能に追い込むのがベストだが、初弾の命中はラッキーなまぐれとでも言うべきで、この期に及んでものらくらと射線をかわし続けるゴスホークを、砲弾で足止めするのは至難の業だろう。

だが、あせる必要はない。
船足に劣るゴスホークがどれほど逃げようと、エスパドンの追跡から逃げ切ることは不可能だ。
じわじわと追い詰めて、プレッシャーに負けた相手がボロを出すまで待てばいい。
相手の船が砲弾を十分に補充していないことは、調べがついていた。
今さら時代遅れなバリスタなど持ち出してきたところで何が出来る。
ジェラールは、自己の圧倒的優位を信じて疑わなかった。


「と、ヤツはさぞいい気分でいるだろうぜ」

ブリアレオスは、甲板員をあつめて言った。

「おまけに、こっちのケツに一発当てて、高い鼻もますます高くなるってもんよ」

そこにつけこむスキが出る。
思えば、ペイリン修道士は実に上手い事を言ったものだ。

ただし、ここから先はスピード勝負だ。
相手がハメられたことに気づいた時には、もう逃げられないように。
全員に、短く、しかし的確に手順が告げられていく。

「カジキ野郎の鼻ぁへし折って、二度とこっちのケツ嗅ぎ回る気がおこらねぇようにしてやれ。ぬかるな、野郎ども」

一斉に持ち場へと散った水夫達を確認し、背後に迫るエスパドンを一瞥したブリアレオスは、おもむろにハンスにむけてアゴをしゃくった。

反撃開始だ。


ジェラールが異変を感じ取ったのは、ゴスホークのトップマストに白い旗が翻った瞬間だった。
相手があの「百本腕」なら、降伏だけは絶対にあり得ないのだ。
そのあり得ないはずの降伏旗が上がっているということは…。

ブラフだ。

100%、ブラフに他ならない。
どんな手かは分からないが、こちらに痛打を食らわす手を、相手が繰り出しつつあるのだ。

「警戒を緩めるな!急速回頭用意だ!」

とっさに声を上げたものの、追跡相手のマストに上がった白旗をみて、エスパドンには明らかに安堵の空気が漂っていた。
ジェラールが勝ちを確信した瞬間、エスパドンにとっての戦闘は終わったも同然だった。
下は上に倣うのだ。

と、同時にゴスホークの斜めに向いた2基のバリスタから、やや小ぶりな樽が2つ同時に打ち出される。
樽は長いロープで連結され、ロープの真ん中あたりにもさらに小ぶりな樽が繋がっているのが見えた。
2つの樽はロープを引いて飛び、真ん中の小樽に引かれて浅いVの字になって着水した。

「転舵だ!面舵、急げ!」

ジェラールの命令が、実行に移されるのに数瞬の遅れがあった。
白旗と、突如打ち出された樽とに、全船の視線が釘付けになっていた。

よく見ると、真ん中の小樽にはスパイクが植えてあり、見る間にエスパドンの舳先にガッチリと食い込んだ。
小樽から繋がったロープの先、それぞれ30ヤードほど先の樽は、扉が閉じるように、エスパドンの船尾めがけて引き寄せられていた。

(やられた…!)

ジェラールが脳裏につぶやいた瞬間、船尾で樽が破裂して、エスパドンの舵板を木っ端微塵に吹き飛ばした。
わざわざエスパドンの船体の長さにあわせて、ロープの長さを決めていたのだ、あの食えない百本腕は。

船尾に浸水したエスパドンが、がっくりと船足を落とすのを尻目に、ゴスホークは帆を張り増すと、滑るように戦場を離脱していく。
突き刺すような執念深い視線をその船尾に注ぎながら、「トゥーロンのバショウカジキ」は歯軋りを隠さなかった。
posted by ブリアレオス at 18:46| Comment(0) | TrackBack(0) | Story of Hecatoncheir | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。