2006年07月17日

The March Of The Black Queen(中編)

ジブラルタルを東から西へ通過して、大西洋をアフリカ西岸沿いに南下するH.M.S.Goshawk。

ナポリを出航後、東地中海方面へ巡航していた船は、なぜかトリポリ沖でにわかに進路を反転、アフリカ北岸スレスレをひたすら夜間に帆走しながら、地中海を抜け出たのだった。

「今度ばかりはどこへ行く気なんだか、さっぱり分からん」

熟練水夫のレイノルズは、腕組みしたまま首をひねった。

「百本腕の気まぐれは、今に始まったこっちゃねぇだろ」

面倒くさそうにエミリオが欠伸まじりで混ぜっ返す。
このところ夜間の当直時は、おちおち居眠りも出来ないので眠くてしょうがない。

「だいたいが、今度の航海は腑に落ちねぇ。ナポリを出てからこっち、砲撃訓練もねぇくせに、船倉はメシと水以外は空荷ときやがる」

血の気の多いギャレスは戦闘訓練がないのが大いに不満なのだが、では商用航海かといえばそうではないのだから分からない。

「一度も寄港してないけれど、ひょっとして船長はお尋ね者にでもなってるんじゃあ…」

例によって常に悲観的な観測を述べるのは、肝の小さなマシューの役回りである。

「なるほど船長は凶状持ちだからな」
「ぬかせ、枯れても百本腕だぜ、そう簡単に尻尾掴ませるかよ」
「あれじゃあねぇか、前に港湾局の倉庫から装薬ガメたのがバレたんじゃねぇのか」
「バカ野郎、装薬ぐれぇで追っ手かける律儀な役人なんざいねぇ」
「それじゃ、なんだってこう何度も何度も船体塗り替えたりすんだよ」
「知るかよ、んな事ぁ船長に聞けよ」
「シッ!おい、合図だ合図! 静かにしろって」

水夫達は、舷側からぶら下がったボースンズチェアの上で、ハケを握りしめたままそろって息をひそめた。



妙な調子の呼子が鳴り響くのを耳にして、ブリアレオスは手にした海図の写しから目をあげると、斜め前で帳簿をつけるホセの方へだれきった声をかけた。

「おい、なんだあの呼子は」

「あぁ、最近水夫達の間で流行ってるんでさ。『船医、診療室ヲ出タリ』だそうですぜ、いいんですかい?」

気の毒そうに眉をひそめながらホセは答えた。

例の一件以来、水夫達のガブリエラの恐れ方は尋常でなかった。
医術という得体の知れない物への恐れがそれに輪をかけて、今やガブリエラの姿を遠目に発見すると、接近を知らせる呼子が吹き鳴らされ、水夫達は我先に姿を隠す有様だった。

「仕方ねぇ。こいつぁ俺が言ったって止まりゃしねぇよ」

退屈そのものな顔でブスリと答えると、ブリアレオスはすっかり冷めたコーヒーを飲み干し付け加えた。

「ヤツらが安全だって思わねぇ限りはな」

「いやいや、安全に決まってるでしょうが、お医者なんだから」

問うホセに、妙な表情で盛大に首をかしげるブリアレオス。

「…船長、まさか…給金が破格に安いのは…副長がサポートに付くのは…え?…船長?」

「フィリッポは、スジは抜群にいいって言ってたぜ」

うそぶくブリアレオスに、やや血の気の失せたホセだったが、それでも意見はやめないのは、帳簿の絡まない所では人情家たる彼らしい。

「や、そ、それでも、ここは船長がビシッと」

「言って聞くならビシビシ言ってらぁ」

対するブリアレオスは気もなさげにさえぎって、耳掃除をはじめる始末だ。

「それにそもそもあいつが乗りてぇって言い出したことだしな」

言い捨てて椅子から立ち上がるブリアレオス。
口さみしくなって、塩豆でも探すつもりらしい。
部屋の隅のチェストへ向かってホセの前を横切った。

なんたる薄情者かと、あからさまにド渋い顔で抗議の視線を注ぐホセ。
そのホセをこれまたほとんど無視し、背を向けたままチェストを探るブリアレオスは、ぼそりと言葉を継いだ。

「あいつにゃ引き返す航路なんかありゃしねぇんだ。嵐も乗り切って進むしかねぇだろが」

「は?なんです?今なんて言いました?」

「うるせぇな。病人出てねぇんだ、掛かりも安くついて万々歳じゃねぇか、って言ったんだよ」

「そういう問題じゃねぇでしょ、船長。かよわい女性が虐げられてんですぜ?」

「あいつのどこひっくり返しゃ『かよわい』…いや、んな事ぁどうでもいいや。そんなになんとかしてやりたきゃ、お前ぇ行って歯の五、六本も抜かせてやれ」

「いや、そいつぁごめん蒙りまさぁ…って、船長、話ゃあ終わってませんってば、ちょっと…!」

なお食い下がろうとするホセを、剣呑な目付きで牽制しながら、ブリアレオスは士官用の大部屋をすべり出ると、上層甲板へのタラップを二段飛ばしで駆け上がって行ったのだった。



それから数日、あいかわらず、水平線ギリギリに陸地を見ながら夜間の帆走を続け、ゴスホークはギニア湾岸は奴隷海岸の沖合いにまで到達していた。

ゆったりピッチングを繰り返し、うねりを乗り越えてゆくゴスホークの後部甲板。
月明かりをうけて白く長く曳かれる航跡を、手すりにもたれて見下ろしながら、ガブリエラは深いため息をついた。

今日も船内を巡回したが、診察した船員は一人もいない。
診察どころか、言葉を交わすことすら出来ない。
船内で彼女が言葉を交わせるのは、船長のブリアレオスと、医薬品の事を打ち合わせる主計長のホセ、そしてすぐ隣の副長居室に控えている副長のハンス(無口なため、返事は返ってこないが)ぐらいだ。

ガブリエラとてバカではないから、自分がこの船で浮いている(さらに言えば「異物」として認識されている)のは分かっているのだ。
生物には、身体の中に入った異物を排除しようとする働きがあるらしい、と師のフィリッポは言った。
まさに自分は排除されつつある、この船に入り込んだ異物ではないのか。

「落ち込むのは勝手だが、手すりの向こうへ落ちんじゃねぇぞ。この速度じゃあ拾おうったって拾えやしねぇからよ」

我知らずまたため息が口をついたところに、背後から低い声がかかったのでガブリエラは息が止まるほど驚いて振り向いた。

船長のブリアレオスが、いつのまに忍び寄ったのか、背後に突っ立って見下ろしていた。
船内で彼女と会話が出来る数少ない人間だが、ケガとも病気とも無縁な頑丈そのものな男であるため、診察室に現れることはまずない。

「船長、やっぱり私…」

ブリアレオスは、ガブリエラの横に突っ立って、航跡を睨んだままでそれをさえぎった。

「泣き言は聞かねぇ。泣きが入ったら、そこで航海はお終いってぇのは、お前ぇさんとの約束だったろ」

ハッとしつつも、ますます表情を曇らせるガブリエラ。

海の世界とは、理不尽なものである。
海の男達は、風や波相手には一切の油断なく、役に立つことだけをやってのける現実家ばかりでありながら、反面これほど無闇やたらと理不尽に迷信深い連中もまたいない。
曰く、水にカナモノを落とすなだの、嵐を呼ぶから口笛を吹くなだの、強い敵はムシしろだの、ありとあらゆる迷信やくだらない妄言をごっそりと抱えている。
女性の乗船を頑迷なまでに忌むのは、その最たるものである。

ガブリエラが戦っているのは、まるで知らぬ場所に自らの居場所を獲得する戦いであると同時に、こうした言われ無き迷信に縛られる、古い船乗り社会そのものとの戦いでもあったのだ。

「まぁ、連中もウブなヤツらだからな。得体の知れねぇ医者で、おまけに若ぇ女だし、尼だしってんですっかりビビっちまってんのさ」

消沈するガブリエラを、やっと振り返ってブリアレオスはおごそかに告げるのだ。

「百の言葉より一の真実ってな。お前ぇさんは自分がこの船の船医だってことを証明してみせなきゃならねぇ」

こんな状況でどうやって?
唇をかんだまま、そう問いたげな顔つきのガブリエラの頭を、ウィンプルごしにわしづかみにしてぐらぐらとかき回してふざけながら、ブリアレオスはしかしガブリエラを見てはいなかった。

「お前ぇさんにゃ、存分に腕ぇふるってもらうのさ。ちょいと忙しくなりそうなんでな。好機到来ってヤツよ」

その目には野生がたぎっているように見える。
視線の先を追ったガブリエラは、見えるか見えないかの水平線にちらちらと動く反射光を見たような気がした。

「すぐ診察室行って待機しとけ!悪ぃが手が足りねぇんでハンスはつけてやれねぇんだ。ホセとあと一人は使っていい。さぁ、行けっ!」

言い捨てざまにメインマストへとりつくブリアレオスの声に、はじかれるように走り出したガブリエラは、下層甲板へとタラップを駆け下りる。

その背中へ、檣頭のライベンの鷹のような声が降りかかった。

「Ship a hooooooooy !!!」




posted by ブリアレオス at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | Story of Hecatoncheir | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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